名草山2009

 「思い立ったが吉日」の日曜日の午後のことでした。気持ちの良い天気!妻から急に「名草山」へでも行こうか!?と誘われました。実は、私も以前から、一度は山頂に立ってみたいと思っていたので、早速、身支度をして、午後1時、自宅を出発しました。

ALBUM


2009年10月11日(日) 晴れ
 最寄のJR駅から電車に乗り「JR紀三井寺駅」で下車したのが午後1時50分頃でした。自作の小さな地図を片手に、名草山への登り口へと向かいました。今回の登り口は、「正行寺」と「高皇神社」の前を通って行くコースです。

 そこへの進入路は、在所の狭い路地を通っていくため、初めての人には少し分かり難いと思います。「正行寺」の前を過ぎると、すぐに石段になっていて、この石段が「高皇神社」を過ぎるまでのおよそ150m続きます。高さが低い石段なので、それほどきつくありませんが、いきなりの長い石段なので、これから山登りをするという感覚からちょっとズレを感じます。

この石段が「高皇神社」を過ぎるまでのおよそ150m続きます。

 「高皇神社」の前を過ぎると、少し空が開ける場所がありますが、すぐにまた、なだらかな坂道を登る山道へと入っていくことになります。

 名草山は、和歌山市の南部に位置し孤立した山なのに、近年の環境変化からか、標高がわずか228.6mのこんな小さな山にまでイノシシが激増し、農作物の被害で困っているそうです。ハイキングに入山される人にも注意の看板が貼られていました。

 でも、みなさん!それほど心配されることはないと思います。私の自宅近くの山にもイノシシが多く農作物の被害で困っています。私が小学時代から年に2~3度はこの山に入っていますが、まだイノシシに出遭ったことがありません。

 野生のイノシシは、普段はおとなしく非常に警戒心が強いため、人との距離をおいて生活しようとすることから、ほとんど出遭うことがないようです。だから、それほど神経質になって怖がることはないと思います。人がもっと入山すれば、農作物被害で厄介者のイノシシも、人を恐れて退散していくことでしょう。

 少し話がそれましたが、イノシシを恐れることなく、もっとハイキングにでかけてください。注意が必要なのは、冬場のハンターの銃声の方かも…。そんなわけで、ハイキングを楽しむことにして、更に奥へと進んで行きましたが、やはりイノシシに出遭うことはありませんでした。

 そして、最初の小高い「一本松広場」へと到着しました。名前は「一本松広場」ですが、肝心の松は見当たりません。以前は大きな松があってこの名前が付けられたのだと思いますが、たぶん松くい虫の被害にでもあって枯れてしまったのでしょう。今では、「二代目一本松」として苗が植えられ、育てられていました。

最初の小高い「一本松広場」へと到着しました。

 この広場からでも、少し下界の住宅の風景が開けて見えますが、ちょっと物足りません。それども、ここまで一気に登ったものだから、もう汗びっしょりです。かなりの運動量になっているものと思います。

 ここからは、尾根伝いに山頂への緩やかな山道を登っていきます。尾根伝いの傾斜の少ない山歩きは大好きです。どんな山でも、尾根まで登ってきてしまえば楽しい山歩きができるのですが、ここまで登ってくるのに苦労がつきものなんですよね。まぁ…「楽あれば苦あり」ってことですかね。

 また、しばらく進んでいくと、一旦は竹林に入ります。近年、どこの山でもそうですが、竹の繁殖力により周囲の雑木が枯死し、更に竹の侵食が進んでいく現象があちこちに見られます。これも環境変化と、そっと見ているより他に方法はないのでしょうか。

 そんなことを思いながら尾根の山歩きを楽しんでいると、「日の出台」と名付けられた場所に辿り着きました。たぶん、ここから昇る朝陽がきれいなのでしょう。ここまでくると、山頂はもうすぐです。この日は日曜日だったことから、沢山のハイカーの方々に出逢い「山頂は、もうすぐですよ!」ってご親切に教えてくれました。

 さぁ!あと一息です。最後の力を振り絞って…(大層な?)、いや…それほど力を出さなくっても、もうすぐ山頂でしょう。尾根伝いだから楽勝って感じかな?

 そして、そのまま尾根伝いにおよそ10分の山歩きを楽しみながら、「和歌浦湾」を眼下に見渡せる名草山の山頂へと、初めて登ってくることができました。

「和歌浦湾」を眼下に見渡せる名草山の山頂へ

 俳人山部赤人が詠んだ「和歌の浦に 潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして鶴鳴き渡る」の一句を思い出させるきれいな風景を望むことができました。「片男波」の名の由来は、この俳句からきているんだよ!ご存知でしたか?

 和歌浦湾の素晴らしい眺望に感動していると、山頂広場の休憩場所に、70歳過ぎの男性がひとり腰掛けていました。「おひとりですか?」と声をかけると、気さくに話してくれました。すぐこの下にお住まいらしい。

 この男性の曰く「かれこれ20年ほど前に糖尿病を患い、医者に運動を進められて、その後、毎日のようにここまで登ってきていますが、もう、75にもなったら、あきません。」とのことでした。治ることのない持病に、半ばあきらめ顔で話される様子が可哀そうに思えました。

 健康の有難さをしみじみと受け止めながら、この男性の話をじっくりとうなずきながら聞いていると、ご自分の家族のことや人生経験にまで触れ、彼の人生のすべてを延々としゃべり出しました。あまり聞いていると、帰りの予定の電車に間に合いません。

 この辺で話を切り上げていただいて、電車で訪れた事情をご説明して下山することにしました。帰路は「名草小学校」の方面への道を下ります。途中には、いくつもの案内標示がされていたので、道に迷うことはありません。

 ところが、道沿いの笹が薮のように生い茂り、行く手を阻みます。できれば、ここを管理する自治体(自治会?)に沿道の整備をお願いしたいと思います。このままでは、ここを訪れたハイカーが失望し、リピーターがなくなることに間違いありません。

 整備さえすれば、ハイカーが増えることにも間違いないと言い切れる最高の山なのだから…。新しい施設を増設する余分なお金があるのであれば、今ある自然財産をもっと大切に守り続けてほしいと思います。

 道は、いくつかの分岐点を通過しながら下ってきましたが、名草小学校方面の案内標示が見つかりません。この案内標示からみて「紀三井寺」方面に向かえば良いと思い進んでいきました。

 すると、比較的広い道に出て、生い茂る笹もなくなり歩きやすくなりました。およそ200m進むと「面方(小)草名>」と書かれた案内板が見えました。まぁ…逆から読めばの話ですが…。それとも昔の横書きのつもりなのか?

およそ200m進むと「名草小学校」方面への案内板が見えました。

 ここからまたしばらく下ると、光り輝く和歌浦湾の海と田園風景が広がって見えてきます。しかし、まだ「名草小学校」は見えてきません。でも、このままの下山速度では、帰りの電車の時間が気になります。

 ところが、またまた道は深い薮に遮られ、行く手を阻みます。きっと、この道は、普段ほとんどハイカー等にも利用されていないことでしょう。前にも書きましたが、名草山の管理者に対して再度お願い申し上げます。是非とも早急にハイキングコースの整備をしてください。重ねてお願い申し上げます。

 どうにかこうにか下って行くと、更に荒れたトンネル状態と化し、生い茂る薮は陽を遮っています。これでは、人も遮ってしまいます。楽しいハイキングも面白くなくなるでしょう。管理者さん!何度も言うけど…お願いね!

 ここもどうにか通過すると、今度は倒木が行く手を阻みます。もう道さえ分かりません。どこが道なの?って感じ。早く!どうにかしてください!

倒木が行く手を阻みます。

 ここでも家内の文句を聞きながら、どうにか通過することができました。まるで障害物競走みたいです。笑っているより仕方がありません!そうして、ようやく人家が見える狭い路地へと下ってくることができました。

 せっかくの楽しいハイキングも、このような道ではハイカーも来れませんよね。きっと、別のルートばかりを利用しているに違いありません。でも、私たちのように「電車&ウォーク」で、近道ルートを利用してハイキングしたいという人もいることを、忘れないでくださいね!

 こんな願いを心の中で叫びながら、やっと車が通る旧道へと出てくることができました。そして、名草小学校前を通っては、思い出したかのように、ここからすぐ近くの義姉(家内の姉)の家に寄って帰ることにしました。

 ちょうど家に帰っていた義姉の大歓迎のもてなしで、つい、ゆっくりと話し込んでしまいました。時計を見ると、午後4時35分を過ぎています。次の電車は、紀三井寺駅17:03発なので、急いで帰ることにしました。義姉の自宅から「JR紀三井寺駅」までは、およそ20分かかります。ぎりぎりセーフ!間にあって良かった!これに乗り遅れると、次は17:27発まで待たなければなりません。

 「思い立ったが吉日」で出かけた「名草山ハイキング」でしたが、こんなに短い時間でも、まるで長旅の気分!「電車&ウォーク」は、泣いたり笑ったりのとっても思い出深い、凝縮した数時間を過ごすことができました。

 今度は、どんな「電車&ウォーク」をしようかな?

 健康維持に努めて、どこかへ「電車&ウォーク」ができたときには、また、このホームページでお会いしましょう!

(^o^)/~

このブログの人気の投稿

2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)

東北地方車中泊の旅2024

香住カニかに2025