レトロ浪漫中之島2010

 早朝から出発しようと予定していたが、予想外の小雨。何時間待っても降ったりやんだりを繰り返し、結局、おひさまが顔を出したのは午後からでした。大阪の中之島なら午後からの出発でも大丈夫だろうと、昼食後すぐに出かけたのでした。今回は、大阪まち歩きでおなじみの「レトロ浪漫中之島」の散策です。

ALBUM


2010年11月7日(日)雨のち晴れ
 天王寺駅から地下鉄「御堂筋線」に乗り継いで「淀屋橋駅」で下車すると、そこはレトロな建物が立ち並ぶ昔にタイムスリップできるまちなのです。

 淀屋橋の橋の上からは、土佐堀川をすべるように走るアクアライナーが見えました。これもまた「水の都」の大阪らしい風景です。

土佐堀川をすべるように走るアクアライナーが見えました。

 淀屋橋を渡って中之島に入ると、すぐ右手に大阪市役所があります。現在の大阪市役所は、大正10年に建てられた旧大阪市役所本庁舎が建て直され、1985年(昭和60年)に完成したもので、現庁舎のロビーには、当時使われていた彫刻やステンドグラスが飾られているそうです。平日の業務時間内に、一度見に行ってみたいと思います。

 続いて、大阪市役所の西向かいに見える、これぞレトロな風格ある建物と言えるのが「日本銀行大阪支店」です。建築年は、1903年(明治36年)で、設計が辰野金吾、葛西万司、長野宇平治によるものだそうです。レンガと石造りの立派な建築です。100年以上も経過しているというのに、その威風堂々とした風格は、経年変化を感じさせません。

これぞレトロな風格ある建物と言えるのが「日本銀行大阪支店」です。

 今度は、淀屋橋を南に戻り「大阪倶楽部」へと向かいました。大きな住友ビルディングの角を曲がっては、車の通行が少ない通りへと進んでいくと、左の角にレトロな趣の建物があるので、すぐに発見できます。

 この大阪倶楽部は、「大阪まちあるき」によると、建築年が1924年(大正13年)で、設計が片岡建築事務所(安井武雄)によるものと記されています。各部に飾られた彫刻は、今もあせていません。

各部に飾られた彫刻は、今もあせていません。

 次に「綿業会館」へと向かうのですが、広い御堂筋を通って行く途中に、とっても面白い建造物がありましたので、紹介します。

 その踊る姿の滑稽さに笑いが止まりませんでした。なんでまた、こんな大通りのど真ん中に建てたのか、大阪人でなければできないことかもしれません。

 御堂筋を備後町通りへと信号を渡ってしばらく進むと「綿業会館」がありました。この建物も周囲の建物とは異にするのですぐに見つかりました。

 「大阪まちあるき」によると建築は1931年(昭和6年)で、設計は渡辺節建築事務所(渡辺節、村野藤吾)によるものと記されています。毎月第4土曜日に2部制で館内見学が可能だそうです。一度、館内を見てみたいものです。建築物に興味のない方にはどうでもいいことでしょうけどね!

 続いて向かったのが、堺筋にある「生駒ビルディング」です。この建物は「生駒時計店」のビルで、築80年(1930年)が経過しています。これら古い建物を見ていくうちに感じたのですが、古い建物の方が、どれも凝った作りをしているということです。

この建物は「生駒時計店」のビルで、築80年(1930年)が経過しています。

 次は同じ堺筋の通りにある「高麗橋野村ビルディング」です。この建物は1927年の竣工ですが、このビルも丸みを帯びた手の込んだデザインをしています。先の大阪倶楽部と同じ安井武雄の設計(安井建築事務所)で、各所に装飾やいろんなデザインを取り入れているのが分かります。

 続いて、同じ堺筋で北浜1交差点の角に位置する「大阪証券取引所」に行きました。目の前には大きな「五代友厚公」の銅像が建てられているのが、すごく印象に残りました。建物の中に入っていない(この日は日曜日で休日)ので、なんとも言えませんが、1935年(昭和10年)の建築で、2004年修復されたということもあってか、古さと新しさが共有する近代建築といった面持ちです。

同じ堺筋で北浜1交差点の角に位置する「大阪証券取引所」に行きました。

 建物探訪ではありませんが、中之島のレトロ建築物をひととおり回ったところで、次は難波橋を渡る途中の階段を下って、バラの花が咲き乱れる中之島公園を訪ねます。ここは、咲き誇るバラとともに、日曜日の夕暮れ時をのんびりと過ごす恋人たちで溢れています。間違っても、おじさんひとりで来るような場所ではないですね。ということで、ひとりバラの花を撮影する自分がさびしい気持ちになりました。

 さぁ…そして、最後に訪れたのが「大阪市中央公会堂」です。この建物も1918年(大正7年)と非常に古く、2002年には修復されているそうです。設計は辰野金吾、片岡安で、特別室は通常非公開となっています。「大阪まちあるき」には、「特別室の天井画・壁画が見ものです。」と記されていますが、非公開じゃ、見たくても見れないじゃあ~りませんか!

 大阪市中央公会堂には、大正7年に大阪で初めてできた洋食屋がありました。2002年に公会堂のリニューアルとともに改装され、レストラン「中之島倶楽部」として生まれ変わりましたが、当時の意匠が多数残されており、オムライスなどのシンプルな洋食メニューを食べていると、現代とレトロが交錯する、懐かしくも新しい異空間を感じられるそうです。一度、妻と2人で来てみたいと思いました。

橋の南詰には、「昭和初期の橋名板」と「大正時代の親柱」が当時のままに残されています。

 その後は、レトロ浪漫中之島も終盤の「適塾」に向かいます。途中、栴檀木橋(せんだんのきばし)を渡ると、橋の南詰には、「昭和初期の橋名板」と「大正時代の親柱」が当時のままに残されています。これには驚かされました。

 そして、次の交差点を右折してすぐのところに「適塾」がありました。適塾の創設は、なんと1838年(天保9年)と古く、医者・蘭学者の緒方洪庵が開いた蘭学塾で、大阪大学のルーツとも言われているそうです。江戸時代の2階建ての町屋建築で、医学・蘭学に関する貴重な資料が展示されているとか…。(「大阪まちあるき」より)

医者・蘭学者の緒方洪庵が開いた蘭学塾

 次は、最後の「淀屋橋センタービル」へとゆっくりと足を進めます。このビルはまだまだ新しく、建築は1998年(平成10年)です。この建物の1階には、1781年(天明元年)創業の、塩昆布など上方の味が揃う神宗があり、店内には、創業当事のまち並みが再現されています。

 これら多数の重要文化財を回って、レトロ浪漫中之島の魅力を再発見した次第です。天候の関係で予定を変更して、にわかに出かけた大阪への半日の旅。そんな短い旅ですが、目的がはっきりしているので、思い出いっぱい凝縮された濃厚な旅となりました。

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