天王寺七坂2007
前から一度行ってみたいと思っていた大阪市の「歴史の散歩道」に掲げてある中の一つで「上町台地北コース」の一部と夕陽丘周辺の散策を楽しみました。
2007年1月14日(日) 晴れ
年末年始の暴飲暴食対策も兼ねて歩きたい衝動に駆られ、前日の夜から気持ちの高鳴りを覚えるほどでした。あとは天候だけが勝負ですが、インターネットでは近畿は全般に晴れ模様と出ています。
当日の朝は前日の予報どおり、幸い風も無く穏やかな晴天で、寒さもそれほど感じることのない絶好の散策日和に恵まれました。
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| 天王寺七坂 略図 |
天王寺周辺は電車で行って日帰りでゆっくりできる位置にあり、散策プランに組み入れて、天候さえ問題なければとっても気楽に行けるので、ちょうどその場所に「歴史の散歩道」があることは願ったり叶ったりでした。
午前8時に自宅を出発しJR駅まで歩いて20分、天王寺到着が9時過ぎでした。そこで、まずは「天王寺七坂」を散策し、通天閣周辺の新世界で昼食休憩をすることに決めました。
「天王寺七坂」は、松屋町筋からすぐ東側の上町台地へと登る夕陽丘に位置し、天王寺からは歩いて15分程度のちょうど良い距離で、天王寺公園から納骨で有名な「一心寺」の沿道を通り抜けて国道25号線に出ました。信号を越えると「天王寺七坂」に繋がる松屋町筋ですが、この交差点には横断歩道はなく、安全のために設置されている歩道橋を渡らなければなりません。
止むを得ず歩道橋の階段を上ると、そこから南西側に大阪のシンボルである通天閣が良く見えます。今日は、冬晴れの空気の澄んだ好天に恵まれたことで、展望台からは、かなり遠くまで見渡せそうです。
手持ちの簡単な地図を頼りに松屋町筋を北進するも、目当ての坂は見つかりません。インターネットで検索したときの詳細地図を持参すれば良かったのですが、後の祭りです。
おかしいなぁ…と思いながら歩いていると、先に「口縄坂」と彫られた石柱の案内標示を見つけました。でも、ここから先に行くと順序良く回れないことから、ここまで来れば北の端からとの思いから更に北進することに…。
すると、また同じような石柱の案内標示があり、それには「源聖寺坂」と彫られていました。「そうか…これが北の端なんだ!」と思い込み、この坂から散策することにしたのです。
ところが、最初に「源聖寺坂」、そして2番目には、先に石柱の案内標示だけを見た「口縄坂」へと足を進めたことで、この坂を登り切った上の通りがこの「歴史の散歩道」の散策コースになっていることに気付いたのです。
しかし、コースの案内標示などはどこにも見当たりません。ただ、歴史を学ぶ中学生風の学生数人が先生と思わしき人と同行で、この「歴史の散歩道」について資料を見ながら話す様子から判断して、このグループについて行ったというわけです。
そして、学生達に案内される形で見つけたのが「愛染坂」でした。先に松屋町筋から間違って路地に入り、階段だけを見て知った「大江神社」のすぐ横にありました。初めての人が松屋町筋から直接ここに来るためには、詳細な地図を持っていなければ難しいと思います。
次に訪れたのが「清水坂」でした。この坂は名前のとおり「清水寺」のすぐ横を通る形で、「愛染坂」を下ってすぐに細い路地を南進すると見つけることができます。また、「清水寺」は三方が高台になっており、もちろん「京都の清水寺」に似せて建立したものらしいが、京都の清水寺のように巨大な本堂や舞台は作られていません。
そして最後に訪れた坂が「天神坂」でした。ところが、七坂のはずが、今までに「源聖寺坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂」の五坂しか行っていません。
あれれぇ…(・・?)
どうしたんだろう?
後の二つの坂はどこだろう。
松屋町筋を基準にした簡単な地図だけを頼りに訪れたのが間違いか…?
いや…地図を良く見ると、一つは最北端の東西の通りから南に入る「真言坂」に行くのを忘れていたことが分かりました。
それにもう一つは「逢坂」で、この坂は最初に歩道橋を越えた「国道25号線」そのものがそうだったのです。
この広い通りが「逢坂」だったとは、他の坂と比較してあまりにも違いすぎるので、七坂の一つだったとは思いもしませんでした。だから、写真撮影もしていません。残念!
時間は既に11時20分でした。今から「真言坂」まで戻るには、私の燃料がもちません。ここで一旦は散策を小休止し、通天閣のある「新世界」の界隈で昼食休憩を取ることにしました。
新世界には、たくさんの名物「串かつ」の店が軒を連ねています。でも、私が本日「串かつ」を食するわけにはいきません。年末年始太りのダイエットを兼ねての「電車 & ウォーク」なのに、本来の意味がなくなるからです。でも、「おいしそうだなぁ…。」
名物「串かつ」を横目に目指すのは、これも大好物の蕎麦処「総本家更科」です。「そば」の方がダイエット向きじゃないかと思うので…今はOIL抜きに徹しなければね!それで注文したのが「ざるそば」の大盛りです。「大盛りではダイエットにならないって!?」でも、ここは超オススメですよ!
腹ごしらえを済ませたところで通天閣に上りました。この日は多くのバスツアー客で溢れており、大盛況の状態でした。列に並んでエレベーターを待つこと15分、やっと5階展望台へと到着です。
それでもやっぱり上がってきた甲斐がありました。天気に恵まれたこともあって、何度か見る大阪平野の眺望も、今日はまた格別なものがありました。2・3階イベント広場で開催されていた『写真で振り返る「通天閣とテレビ」の歩み展』も、とても見ごたえがありました。
十分に足を休めたところで、「天王寺七坂」の最後の散策へと、残りの「真言坂」を目指してウォーキングの再開です。
しかし、手持ちの地図は、周辺の目標物の標示が何も無い簡単なものだから、ほとんど頼りになりません。もう…持ち前の勘を頼りにするしかありません。「これも頼りにならないんだよね…。😅」
近くまで歩いてから地元の方らしき人に尋ねると、「私もそちらの方向に行きますから…。」と石柱の案内標示の立っている前まで案内していただくことができました。本当に助かりました。ここで御礼を申し上げておきます。「🙇♂️ありがとうございました。」
「真言坂」を上りきると、そこは「生国魂神社」裏門へと直結されており、坂の名の由来は、この神社周辺で栄えた寺院(六坊)のすべてが真言宗だったことからこの名が付いたとされているそうです。
しかし、なぜ夕陽丘にはこれほど多くの寺院が建立されたのかが不思議でなりません。
そんな思いを残し、最後に「四天王寺」へと立ち寄りました。時間は午後2時過ぎだったと思います。そこで大勢の方々が参拝されていることに驚きを隠せませんでした。
「何かのイベントでもあるのかなぁ?」と思いながら境内を奥に進むと、虎ロープで仕切られた通りに沿って人垣を作るように黒山の人盛りとなっていました。これはもう何かあるのに違いないと、警察関係者がいる臨時テントの方に行ってみました。すると隣の案内テントでは、何やらパンフレットが配られています。見ると「どやどや」と書かれていました。
細部を読むと修生会結願法要(しゅしょうえけちがんほうよう)「どやどや」と書かれ、『元旦から始まる修正会の結願日に行われる行事。堂内では厳粛な法要が、堂前では褌・鉢巻き姿の生徒たちが、お札を奪い合う勇壮なお祭りです。』とありました。
掲載された写真を見て、何だか以前テレビで見たことがあるような気がしました。予期せぬイベントの出会いに、これはもう何が何でも見て帰らねばと思いました。
しかし、どこも人垣の山で「催し場」はほとんど見えません。30分程経過した午後2時40分頃に「よいしょ!よいしょ!」の掛け声とともに最初の幼稚園児による祭りが開始されました。
どうにかデジカメを持つ手の両腕を高くしていっぱいに伸ばし、やっとの思いで人垣を越えて少しだけカメラに収めることができました。柄杓で水をかけられながら、褌裸でお札を奪い合う光景は正に「勇壮」そのものでした。
今回の夕陽丘と新世界散策は、思わぬ「どやどや」のおまけ付きとあって、新年早々幸運に恵まれたような気がしてなりません。これで何とか今年も一年間安泰といきたいものです。








